カフェという場が持つ空間としての魅力ーークルミドコーヒー影山知明さん <U school vol.2前編>


26歳以下の世代が、マンションにおいて将来の日本の社会課題を解決するソリューションとなるコミュニティをつくりだしていくことを目的に、三井不動産レジデンシャルのCSV活動の一環として昨年度スタートした「U26」プロジェクト。

キックオフイベントに続き、U school vol.2は西国分寺で「クルミドコーヒー」を経営する影山知明さんをゲストにお迎えし、人と街を元気づけるカフェ経営における、”人・金・モノ”の考え方についてお話を伺いました。

「クルミドコーヒー」は、西国分寺に店舗を構えるカフェ。こだわりをもって運営され、人々に愛されるお店として評判です。出版社「クルミド出版」や地域通貨「ぶんじ」など、様々な活動の拠点ともなっているカフェは、どのように生まれ、どう運営されているのでしょうか。

今回のゲスト、影山知明さん

今回のゲスト、影山知明さん

レポート前半では「クルミドコーヒー」について、そして影山さんがお考えになる、カフェという場の魅力についてお話しいただいた内容をご紹介します。

街に開かれた、集合住宅の共用部としてのカフェ

影山さん:クルミドコーヒーが入っている建物「マージュ西国分寺」は、西国分寺駅近くにある地上5階建ての集合住宅です。母親の実家だった木造の一軒家が、築50年で空き家になってしまい、なんとか建て替えなくてはいけない、となったのがそもそものきっかけです。

現在は1階がカフェと事務所スペース、2階から上が住宅になっています。住むスペースと事務所、そしてお店の全てがこの建物のなかに入っている、というつくりです。住宅の部分はシェアハウスとなっています。

各部屋に水まわりの設備を入れてプライバシーを確保しながら、ダイニングスペースやガーデニングスペースといった共用部も持つ、というスタイルのシェアハウスです。多世代の人が住んでくださっていて、下は20代から上は80代近い方まで、家族世帯が入居してくださることもあります。

西国分寺駅よりほど近いところに佇むクルミドコーヒー

西国分寺駅よりほど近いところに佇むクルミドコーヒー

そのダイニングスペースなどを、そこに暮らす人が使う共用部として、「プライベートコモンスペース」と呼んでいます。それらに対し、コミュニティが集合住宅のなかに閉じてしまわぬようにということでつくったのが、「パブリックコモンスペース」。

同じ「コモンスペース」ですが、プライベートを重視した、どちらかといえば内側に閉じるタイプの共用部(「プライベートコモンスペース」)と、街に開いたタイプの共用部(「パブリックコモンスペース」)。

この両方をひとつの建物のなかに持つことで、その中の人と街に暮らす人とが関わる拠点をつくっていけるんじゃないか。それをどういう場所にしていこうか、ということで考えて辿り着いたのが、カフェだったんです。

僕たちが考えるカフェは、昔でいうところの縁側のようなイメージです。住む人にとっての空間の一部でもあるし、外からふらっとやってくる人が過ごす場所でもある。内側でもあり外側でもある、中間領域としての共用部ですね。それを現代的に再現するならば、カフェという形が良いのではないかと考えました。

老若男女どんな方でも、かつ、一日中時間帯を選ばずにふらっと立ち寄れればということで、それを受け止められる飲食業態、空間の作り方という点で言うと、カフェに勝るものはないのではないかと思うのです。

『クルミドコーヒー』の経済性について

影山さん:僕らは自己紹介をするときに、「西国分寺の駅前で、クルミをテーマにしたこどもたちのためのカフェをやっています」という言い方をしています。クルミをテーマにしたのは、僕の好物っていうこともあるんですけど、「くるみ」という音を含む「これから来る未来」を象徴するシンボルとしてちょうどいいなと思ったことがその理由です。

クルミは種なので、土に撒いたら芽が出ます。そのなかに未来に向けての色々な可能性が詰まっているという意味でも、お店のシンボルに良いのではないかと考えました。

「こどもたちのためのカフェ」というのは、文字通りこどもたちのため、とういうこともありますが、我々大人の内側にも眠っている子ども心のようなものを、上手く刺激出来るようなお店にしたいという考えもあります。

真剣に話を聞くメンバーたち

真剣に話を聞くメンバーたち

無邪気で、その人自身に立ち返ったような素の姿で人と関わることで、無理のない自分でいられたり、何か面白い取り組みが始まっていったりするのではないかという思いも含んでいます。

店内は、本の中、もしくは森の中に入り込んだような、日常にありながらも、ふと非日常観を味わえるような良さを目指してつくりました。普段の暮らしのなかにありながらも、ふっと息をつけたり、新鮮な驚きがあったり、そうした非日常の世界観がカフェの良さだと思っています。

お店の売上ですが、2013年までのあいだ、年率20%ぐらいで成長してくることができました。その後も10%ぐらいは成長できています。

このようなカフェをやっていますと、「儲からない」「経済性はまた別なのでは」と捉えられがちなのですが、きれいごとも突き詰めてやっていると、ちゃんと金になるということを証明したいと思ってやってもいます。

一番性質(たち)が悪いのは、きれいごとを中途半端に言ったりやったりするということ。きれいごとにも気持ちを込めて、真っ当にやっていけば、それなりに売上や利益もついてきて、経済性もちゃんと成り立つようになる。やる前からそう信じていました。

ここまでの8年間、100%ということではなくともそれを達成してこれています。で、小さな範囲ではそれを証明して来こられたのかなと思っています。

カフェという場が持つ空間としての魅力① 人や時代を育んでいく場であること

影山さん:もともと自分の実家があったところに集合住宅を建て替え、それが街とも接続していくような拠点になったらいいなということでカフェを作った。でも最初からカフェをやりたかったのかと言えばそういうことでもなくて、コーヒーが昔から好きだったというわけでもない。

ただ8年経って気がついてみると、今は自分はカフェをやるために生まれてきたとさえ思えるくらい、自分の天職だと思ってやっています。そう思えるようになったきっかけの一つは、一冊の本との出会いでした。

『caféから時代は創られる』飯田美樹

『caféから時代は創られる』飯田美樹

10年ほど前にカフェ研究家である飯田美樹さんが書かれた『cafeから時代は創られる』という本があります。この本がテーマにしているのは100年前くらいのパリのカフェです。そのころは絵を描く人や文豪、政治家や哲学者などがカフェに集まって、お互い切磋琢磨しあい、それをきっかけに時代がつくられていったと語られますよね。

映画でいうと『ミッドナイト・イン・パリ』。書籍『cafeから時代は創られる』もまさにそんな様子を描いているんですが、そういう話を聞くにつけ僕らはこんな風に考えます。「なんで100年前のパリのカフェには、それだけ偉大な人たちが集っていたんだろうか?」と。

この飯田さんの本が教えてくれたのは、それは因果関係の捉え方が逆なんじゃないかという問題提起です。つまり、偉大な人たちがカフェに集っていたわけではなく、そこにカフェがあったから、集っていた人たちが、後に名前を残すような偉大な人物に育っていったとは言えないかと。

例えば、トキワ荘も、手塚治虫にはじまり、藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎…、あれだけの人がなんであんなにトキワ荘に集まっていたのかって僕らは思いがちですが、それは順番が逆で、トキワ荘があったからこそ、そこに集っていた人たちが、僕らがいまだに名前を知っているような偉大な漫画家に育っていったんだっていう考え方ができはしないか。

海を越えればシリコンバレーというところもあります。ひとつの場や空間が、そこにいる人たちをぐっと成長させたり、偉大な人物や時代をつくっていくきっかけとなったりしている。それが地理的にも時間的にもあるところに集中して表れるというのは、歴史を通じて証明されているひとつの事象だと思います。

そう考えると、自分たちがやっている仕事も、大変意義深いことのように思えてくるわけです。ぼくらは日々、50年後のピカソと出会っているのかもしれない、などと考えるのはこちらの自由なわけです。飲食業態をやっているという側面に加えて、人を育てたり、時代をつくっていくような場づくりを仕事にしているんだっていう自覚も自分のなかにあるわけです。

飯田氏との出会いをきっかけに実現した、パリのカフェを巡るツアー

飯田氏との出会いをきっかけに実現した、パリのカフェを巡るツアー

飯田さんご本人にもお会いする機会があり、2011年の秋には、スタッフを引き連れて飯田さんとご一緒にパリのカフェを巡るツアーに行き、あちらで多くを学んできました。人を育てていくひとつの場になりうるというのはカフェの魅力だと感じています。

カフェという場が持つ空間としての魅力② 目的がなく人が集まれる場であること

別の観点で場づくりというものを考えた時に、カフェが担える役割としてお話ししたいのは、カフェには「目的なく人が集まれる」という特徴があること。意外と重要な点だと思っています。

はっきりとした問題意識を持っていて、自分の興味を言語化できている人は、行ける場所がたくさんある。なにかしらのテーマの集まりなど、自分の興味分野に合わせて行き先を選べる。

ところが世の中のほとんどの人は、自分がそもそも何に興味があるのか、何を自分の人生をかけてやっていきたいのかなんて分からないっていう場合が多い。そういう人は、どこへ行くべきかの判断が難しいわけです。

でも、誰かれとのなにげない対話を通じて、「そういえば自分、昔そういうことに興味があったよな」とった風に、少しずつ内側に眠っている自分の意識が、ことばとして立ち上がってくるという経験をすることもあるわけです。そういう出会いや対話をできる場所が街なかにあるということは、とても大事だと思っています。

本の中に迷い込んだような、非日常の世界を表現した店内のイラスト。

本の中に迷い込んだような、非日常の世界を表現した店内のイラスト。

しかし、そういう視点で街を見渡していくと、無目的な来訪を受け止めてくれる空間と場所って、意外とあるようでない。だいたいの場所は目的的になっている。例えば、市役所には住民票を取りにはいくけど、住民票を手に入れたら帰るわけじゃないですか。映画館も美容院もそうですよね。昔だったら、神社や、銭湯、赤提灯などにふらっと行くと誰かしらいて、話をしているうちにそこから何かが始まったりする。今はそういう場所がどんどん失われていっている。

今の時代、空きスペースを有効活用しようとなったときに、どうしても その空間の用途と見込める成果について説明出来ないといけない。主体が企業でも行政でも同様です。

説明する責任があることを「アカウンタビリティ」と言いますね。僕はこの世の中をおかしくしているいくつかの単語があると思っていて、そのひとつがこの「アカウンタビリティ」です。

「どういうことが成果として起こります」ということを事前に説明が必要だと言われたって、実際はそんなわからないことが多いわけです。特に、こういうカフェみたいな開かれた場をやろうとするケースにおいては。

「何が起こるかわからないんです」じゃ説明が通らないとなると、より目的をはっきり持たせて、「こういう人たちが集まって、こういう活動をして、こういう成果を生み出す場をつくります」と言わざるを得なくなってくる。

それが世の中の空間をつまらなくしていると僕は思っています。もっと開かれた、何が起こるか分からないような場、ただ色んな人が集まれる場を実現できたら、思いがけないことがそこから始まるんじゃないかということを自分なりに証明したいと思いました 。

これが、クルミドコーヒーにかけている自分なりの思いのひとつです。カフェというのはコーヒー代を払わなくてはいけないわけですが、ほとんどの人はコーヒーを飲みにきているというのではないわけです。なんとなくふらっと来る。そして誰かに会う。そこから何かが生まれる。そういうことが日々起こっていて、それがカフェという空間が持っている魅力だと思うのです。

★3_MG_6361レポート後編へ続く

こどものための、大人の物語 - KURUMED COFFEE