社会における「カフェ」のあり方の変化とはーーWAT代表 石渡康嗣さんに聞く<U school vol.3前編>


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今回のゲスト、石渡康嗣さん

三井不動産レジデンシャルのCSV活動の一環としてスタートした「U26」プロジェクト。26歳以下の世代がマンションにおいて、将来の日本の社会課題を解決するソリューションとなるコミュニティをつくりだしていくことを目的に活動しています。

今年度の第3回目の活動では、WAT代表の石渡康嗣さんをお迎えし、人が集まるカフェの仕組みづくりについてお話を伺いました。このレポートでは、トークセッションの前半部分をご紹介します。


時代により姿かたちを変えてきた「カフェ」

20代のはじめはNECで働いていました。「何か違うな」と思って28歳のときに辞め、友人とフットサルコートとカフェの仕事をしようと起業しました。起業したもののこれといった仕事がすぐにあったわけではなく、再び就職することに。

ブランドと食の世界を学びたくて、当時伸び盛りだったスターバックスコーヒージャパンに入り、店舗の予算を管理する仕事をやっていました。全店舗の予算を強引にエクセルで管理して、それで人の人生を左右していたのかと思うと、非常に怖い仕事をやっていたなと思います。

2003年に改めてフットサルコートとカフェを運営するチャンスを得て、スターバックスでの勉強を終えて 、東陽町にはじめてカフェをつくりました。フットサルカフェ「KEL(ケル)」という名前で、フットサルコートの横に、フットサルが終わった人、もしくは始める前に何かチーム同士の人が話を出来る場所が欲しいね、ということで始めました。OPENした2004年当時、そこをすでにコミュニティカフェと呼んでいました。

当時のカフェカルチャーは今より混沌とした、楽しいものでした。文化的であり、個性的な人たちが表現の場としてやっていました。僕は、フットサルコートの横に、そういう文脈のものを作りたかったんです。

今のカフェって、ファミレスに近いですよね。出してるものはどこも同じ、やってる人も機械的に働いている。そういう今のカフェとは違う文脈で、「KEL」を運営していました。コミュニティの場は作れたと思うんですけど、それってあんまりお金にならないんですよね。我々はそのコミュニティを頼りにたくさん投資をしたのですが、大きなやけどを負いました。

その後、豊洲に「CAFE;HAUS」という大きなカフェを作るプロジェクトに関わりました。ららぽーとが出来て数年経ち、まだまだ発展段階の街に、豊洲の人達が集まれるカフェが欲しいという話をいただいて。さらに幾つかの店舗開発に携わらせていただいた後、2014年にWATという会社をつくりました。

ダンデライオンチョコレートの店内の様子

ダンデライオンチョコレートの店内の様子

今やってるものでいうと、蔵前に「Dandelion Chocolate(ダンデライオンチョコレート)」という店を作らせていただきました。これも同じく、新しい価値を持った素晴らしいブランドで、日本に進出するのに値すると思ったので今参画させていただいています。こちらのほうは店舗開発から今マネージメントまでやらせていただいています。これはカフェではなくチョコレート屋です。

場所は変わっても人は変わらない

WATでは百貨店のお仕事もさせてもらいました。

日本橋三越さまと一緒に仕事をさせていただいたことがあります。70歳、80歳の資産家が億の単位で買い物されていたと聞いています。それが「外商」文化でした。ただ、人々の価値観も消費行動も変わりました。そこに彼らも大きな危機感を持っていて、新しいものを提供する場を提案させていただきました。外商サロンや催事コーナーがありがちな、「百貨店7F」に、モノではなくコトを売るカフェを作ったんですね。

ただ、「業態」って、買ってこれるんです。僕らみたいな業者を入れれば、場所は簡単に出来るんですけど、残念ながら、場所は変わっても人は変わらない。百貨店で働くすべての人の意識までは変えられないというのが、このプロジェクトを通じて我々が学んだことでした。

カフェとコーヒー屋さんの違い

2014年はブルーボトルコーヒーというすばらしいブランドの日本上陸に携わりました。僕の担当としては日本にブランド持ち込み、日本法人を設立し、清澄白河と青山の店舗二つを店舗開発させていただきました。

ブルーボトルはサンフランシスコで開業し、ただひたすらコーヒーについて追求していったら、その土地のコーヒー文化も開いてきて、店舗数もふえていったんですね。彼らは日本のコーヒー文化にインスピレーションを受けていて、日本から色んな事を吸収したいというニーズもあり、そこで東京進出が現実になりました。

ここがちょっとミソなんですけど、彼らがやっていることは、コーヒー屋さんなんですね。僕が思う広義の「カフェ」ではない。ここでコミュニティが生まれるかっていうと、いま話したいこととはちょっとニュアンスが違うんですね。コミュニティとか会話を能動的に作るのではなく、ここはコーヒーの目的型の店。

それでは「カフェ」って何なのかっていうことですが。僕がもしカフェをつくるなら、そこはコーヒーだけではなく、人と人の会話が生まれるような場所でありたいと思っています。

来てくれる人たちの状況を想像する

茅ケ崎市の浜見平という場所に「CAFÉ POE」をつくらせていただきました。茅ヶ崎駅から歩いて30分ほどなので、決して良い立地とはいえません。70年代、多くの人がこの地のUR団地に入居し、日本の経済成長を支えました。現在その皆さんは70歳80歳になられているんですね。

「周辺住民のみなさまが来れるような場所を」なんて、気軽い気持ちでスタートさせてしまいました。確かにシニアなお客様は多いですが、おじいちゃんとおばあちゃんのカップルは少ないという現実。その想像力の弱さには我ながらがっかりでした。そんな状況でここで仕事をしてしまっている甘さを、始めて2、3か月ですごく思い知らされましたね。

ただ、渋谷のような大繁華街で、圧倒的な不特定多数の人を相手にするのではなく、いつも来てくれる特定少数のお客様を相手にしている方が、なんぼか心を傷ませないいい仕事ができるな、という満足感はあります。

社会における「カフェ」の役割の変化

大崎で2015年10月にオープンしたばかりなのが本日のこの会場、「Cafe & Hall Ours (アワーズ)」です。

オープン直前のCafe & Hall Ours (アワーズ)。

オープン直前のCafe & Hall Ours (アワーズ)

この街はもともと小さい工場やソニー関連の起業がたくさんあった場所ですが、東京という街は経済原理上どんどん高層に伸びなければいけないんですね。それでこのように高層化された新しい街が開発されました。でも、この「ours」だけ一階建てなんですよね。

経済合理性だけでカフェを運営しない

今回この「ours」がそんな経済原理から外れるところにも色々理由があり、ひとつは都の助成金があります。こうした場をつくるのにお金が出る条例があるそうなんですね。

カフェはもともと儲かるものでもないし、せっかく与えられた場所で「何ができるか」「ここに何があると喜ばれるかな」「何であれば自分として誇りに思えるかな」と考えることを重視したいと思っています。

気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、一個一個のテーブルが大きい。これは飲食店の経済原理からするとNG事項。この場所の目的に合わせてこうしています。そこまで売り上げを追求しなくて良いとなったときに、4人でゆったりと会話ができて、紙を広げてもコーヒーカップがじゃまにならない大きさ、ということで設計してもらいました。他にも、赤ちゃん連れのバギーのお客さまにやさしい通路幅を確保したり、経済原理から外れたことにチャレンジしています。たまに後悔する部分ではあるんですけど(笑)、でも我々はこのテーブルサイズに誇りを持ってやっています。

荒さんと一緒にやらせていただいているComma, Coffee.(コンマ コーヒー)は、CAFE POE(カフェ ポー)や、Cafe & Hall Ours (アワーズ)と違い、月々の売り上げ目標の規模を小さめに設定している店舗です。

Ours(アワーズ)でのイベントの様子

Ours(アワーズ)でのイベントの様子

ポーやアワーズは、どちらかというと計画者目線で作ったカフェなんですね。色んな人が絡むと色んなお金を払わないと駄目なんですが、今回の場合はビルドアップで、ここに入るスタッフが作れることだけで回している。

出来る限り計画しないで、余白を残しておくことで、お客様の顔をみながら売り上げを作りながら内容を変えていこうっていうのがComma, Coffee.(コンマ コーヒー)の僕的なコンセプトでした。だから僕はComma, Coffee.(コンマ コーヒー)に関してはほぼ何もしていないというのが現実です。

今後の予定も少しだけ紹介しておくと、今年8月には、U26プロジェクトのオブザーバーでもある東京R不動産の林さんとか東京ピストルの草彅さんと一緒に、「下北沢ケージ」という空間を造ります。僕は飲食担当として参加しています。

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石渡さんの話に聞き入るメンバーたち

後編に続く